ほっじぽっじすてーしょん

広く浅い、多趣味野郎の時事録

驚くほどに記事を書いていないということに気が付いたので

 こんばんは。お久しぶりです。わさびです。

 気が付いたら11月になっていました。早いですね。びっくりです。

 前回記事を更新したのが8月の半ば(まじかよ)、今年に入ってから記事を更新した回数はなんとたったの2回

 

 このブログ、やる気なさすぎでは?

 

 まあ、実際やる気がないんでしょう。書きたいという気持ちがあれば自ずと手は動くはずですし、「忙しすぎて趣味の時間が取れないよ~><」というほど多忙な人間でもないですし。

 これまた毎度のことながら言い訳になるのですが、書き途中の記事は何本かあります。ただ、どうしても完成に至るまでの熱量が足りていないと言いますか、自分が納得いく内容の記事がなかなか書けず、5本ほどの記事がお蔵入りしている状態です。欠陥人間のくせに変に完璧を求めすぎるからダメなんでしょうね。そうなんでしょうね。

 ブログだとか動画などはコンスタントに投稿することに意味がある。とは聞きますが、それができるのもある種の才能なんだなぁ……という当然のことを痛感しています。

 

 ところで、私は『才能』という言葉が滅茶苦茶嫌いです。なぜかというと持たざる者が羨望(あるいは諦観)の眼差しで使うイメージがあるからです。

 「あの人は才能があるから」

 「私には才能が無いから」

 「私にも才能があればなぁ」

 私の思い込みもあるでしょうが、よっぽどのナルシストでもない限り「俺には才能がある!」なんて言う人はなかなか居ません。内心で思ってる人は沢山居るでしょうけど。

 要するに、私には『才能』という言葉が

『手が届かないことにに対する体のいい言い訳』にしか思えないんですよね。

 

 どうしてもアレが出来ない。そうだ、才能のせいにしちゃえ。

 

 その安易さ、弱さがどうしても好きになれないのです。

 『才能』の存在を否定するつもりはありません。高身長のほうがバスケットボールの選手に向いている。というように、ある事柄に対して適性のある身体的特性、精神的特性(または、それらを培うに適した生育環境)があるのは間違いない事実です。

 『才能』は存在します。間違いなく。

 しかし、それを前提としたうえでも私は声を大にして言いたいのです。

 

 「言い訳してんじゃねぇぞ!」

 

 お前は自分が出来る最大の努力をしたのか。

 お前は『才能』に逃げることしか出来ないくらいソレと向き合ったのか。

 他に何もないくらい、徹底的に、執拗なまでに、狂ったように向き合ったのか。

 『才能』の壁にぶち当たることが出来るのはその境地に至った人間だけだろう。

 私はそう思うのです。

 

 ……とまあ、なんだか意識高いことをつらつらと書いたわけですが。なんでこんなことを書くかというと自分が『才能』という言葉を安易に使ってしまう人間だからなんですよね。意識高い系を夢見る意識低い系です。

 「嫌よ嫌よも好きのうち」という独りよがりで最低な言葉がありますが、私は『才能』という言葉が嫌いなくせに縋るのは大大大好きなんです。たとえ嫌いなものであっても弱いから縋る。酷い話ですね。

 だから声を大にして強く言える言葉なんて私は持ち合わせていなくて、せいぜい誰にも聞こえないようにおっかなびっくり小さな声でボソボソと

 「……言い訳しちゃ……ダメ……だよな……?」

 としか呟けないのが実際の私なのです。情けない話です。頑張りましょう。

 

 なんだか書きたいこともないけど、更新しなさすぎるのもなんだか残念だ。

 ということで今晩は思うがままに文章を出力してみました。内容は無いよう。

 適当に文章を打つのは楽しいので、文章を書くのはやっぱり好きなのかもしれません。などと思いながら、適当に綴られた無秩序な文言の羅列は果たして文章というフォーマットに区分していいものかといった疑念が頭をもたげるのでした。悩ましい。

 俺には才能がある!俺には才能がある!俺には才能がある!

 もっと実のある努力をしてから言いましょうね。言いたいですね。言ってみたいものですね。

 支離滅裂もここに極まれり。いい加減にいい時間なので今晩はこれまで。

 こんな文章でもコンスタントに書き続けられれば、私もいつか『才能』を言い訳に出来る日が来るかもしれません。その日を夢見て夢を見ます。誤字脱字はご愛敬。おやすみなさい。

 

ー最後まで読んでいただき、ありがとうございました。-

 

@PC新調してWoTが快適、わさび