ほっじぽっじすてーしょん

広く浅い、多趣味野郎の時事録

夜迷言『ファインダーの中の自分』

 こんばんは。

 お久しぶりです。生きてました。わさびです。

 

 年初めに記事を更新してから、なんと7ヶ月が経過してしまいました。

 駆け足というにはあまりに緩慢で、忙しいというにはあまりに怠惰な日々を消費していたら、生きていくにはあまりにも辛い平成最後の夏が過ぎ去ろうとしています。

 

 本当だったら『片隅で感想文』の記事を更新したいところですが、今日はなんだかダウナー状態。吐き出したい気持ちが行き場を失い、ぐるぐると頭の中で迷走しているので、これを少し形にしてみようかと思います。

 

 そんなわけで、今日の記事は『夜迷言』

 久しぶりの更新のクセに楽しい話ではないです。身になる話でもないです。無駄に長いうえに、ひょっとしたら中身も無いかもしれません。ブラウザバックしたほうが健康的な夜を過ごせると思います。

 これは世と夜に迷う1人の鬱屈。

 それでもよろしければお付き合いください。

 

『ファインダーの中の自分』

 

 年相応の人間がそこに居た。

 なんてことはない、友人達との記念写真。雄大な山々を背景に、満足げな笑みを浮かべる4人。その中の1人。

 青青しく夢を語る若さとは遠く、威厳という言葉を支えるほど年を積み重ねていない、年相応の独り。

 それは他でもない『自分自身』の姿。ファインダーの中に写る自分は、毎朝鏡で見る自分の姿よりもずっと大人びて見えた。

 

 友人たちと旅行に行ったとき、私はおおよその場面で写真を撮る側になる。

 私自身、写真を撮るのが好き(というよりも記録を残すのが好き)というのもあるけれど、なにより『楽しかった時間の証』を曖昧な記憶だけではなく鮮明な写真として切り取っておきたいという思いが強いから、私はひたすらにシャッターを切る。スマホのカメラでも、一眼でも、切り取りたいと思った瞬間に出来る限り写真を撮る。

 何気ない会話の最中だとか、ちょっとしたタイミングで自然体の写真を撮ろうとすると友人達は冗談めかして「盗撮すんなよ~」と言うけれど。私はかまわず写真を撮る。

 何気ない一瞬が、後々に掛け替えのない一瞬になることを願って。下手くそだろうがなんだろうが、とりあえず写真を撮る。

 そうしていつも撮影側に徹しているものだから、当然のごとく『自分自身が写っている写真』は少ない。色々なところに行き、山ほど写真を撮っているのにも関わらず、自分自身が写っている写真は数える程度しかない。客観的な視点から見た自分の姿を、私はよく知らないのだ。

 だから今回、写真の四角い枠に収まった自分の姿を見た時、私の胸中に渦巻いたのは「よく撮れてるじゃん」だとか「これはいい思い出になるぞ」といった幸福感ではなく、「ああ、もうこんな年齢なんだな」という焦燥感だけだった。

 見た目はしっかりと年齢を積み重ねていた。気が付かないうちに。ゆっくりと。私は間違いなく大人になっていた。

 しかしどうだろうか。大人になった外見とは裏腹に、私の内面に広がる空虚な部分は際限なく膨らみ続けている。消費していった日々とは裏腹に、手の届かなかったモノに対する寂寥感は増し続けている。私自身それを自覚している……はずだった。

 今回、私は写真という形で客観的に自分を見つめた。しかし、それは底知れぬ深淵に松明を放り込むような行為だった。

 明かりは端まで届かない。落下した松明がたてる音も聞こえない。いつか、何かで満たせると思っていた空虚は私が想像していたよりもずっと暗く、途方もなく深くなっていた。

 私は自分で思っているよりもずっと空虚だった。

 

 友人たちと写真を撮ったその夜、私たちは酒を飲みながら自分達の悩みについて相談し合った。

 ……と言っても結局私は聞き役に徹するだけに留まった。いや、「留まった」というよりは「相談する勇気を持てなかった」と言ったほうが正しいかもしれない。

 話したい悩みが無いとか、友人たちが信頼できないだとかそういった理由では断じてない。私は独りでかなり悩むタイプだということは自覚しているし(少なくともこんなブログの中でしか吐き出せないくらいには)、友人たちはこんな自分には勿体ないくらい素晴らしい存在だと思っている。彼らも人間だから当然欠点(あくまで私から見た)もあるけれど、それを考慮してもなお尊敬すべき人物達である。本当に、自分なんかには勿体ない。

 にも関わらず相談しようと思えないのは、単純に自分自身のことを明確にリアルタイムで言語化するのが苦手だからというのもある。軽薄な言葉はつらつらと口先から滑り出てくるけれど、伝えたい大切な言葉はあまりに重く、口にするよりも飲み込んでしまうほうが楽なのだ。

 しかし、そんなのはあくまで出力方法の問題だ。口頭で伝えられないのなら、こんなふうに自分の納得できる形で出力できる文章で伝えればいいだけだ。

 結局のところ、信頼できる友人たちに相談できない本当の理由、根本的な理由はあまりに自分自身が軽すぎるからだと思う。

 悩みをぶつけるという行為は自分そのものを相手にぶつけるということと同義だ。だからこそ人は「この人なら自分を受け止めてくれる」と思った人に悩みを相談する。友人達がそういう対象として自分を見てくれていることは素直に嬉しい。光栄だ。

 では、逆の場合はどうだろうか。あまりにも自分自身が脆弱で「この人にぶつけたら自分自身が壊れてしまう」と思った時、相談できるだろうか。私は出来ない。

 それもきっと下らない、取るに足らないちっぽけな矜持だとか意地があるから『自分自身を壊せない(壊してもらえない)』のだと思う。自分があまりに弱く、臆病な存在だから、自分自身を曝け出すことが出来ないのだと思う。

 「これを言ったら失望されるのではないか。」

 「これを言ったら彼らの中の自分が崩れ去るのではないだろうか。」

 「こんな大したことない悩みを言ってどうなるんだ。」

 私は弱い自分を守るために、弱い自分のことを相談出来ないのだ。

 友人たちは仕事の悩みだとか人生観について語っていた。思ったような仕事が出来ないこと。そんな中でもやりがいを感じる時があること。自分の人生の未来(さき)のこと。

 それは紛れもなくどこかに向かって歩き続けている人が持っている輝きだった。疲れた足を引きずって、時には苦しい思いもしながらじっと目的地を見据え、『自分』を生きている輝き。底なしの暗闇で膝を抱えて独り蹲っている私には無い輝き。あまりにも眩しすぎる輝き。

 知らず涙がこぼれだしていた。悩みを相談していたはずの友人は驚いたかもしれない。実際驚いたと思う。だっていい年をした大人が、酒を飲んで日々のことを愚痴り合う中で突然泣き出したのだから。自分で書いていても情けない奴だなと思う。

 でも、どうしても涙が止まらなかった。とにかく悔しかった。なぜ自分はその輝きを持っていないのか。なぜ自分はこの会話に胸を張って入っていけないのか。なぜ自分は友人の悩みを笑顔で受け止めてあげられないのか。なぜ自分はこんなにも弱いのか。

 みっともなく鼻水を啜る音の向こうで友人たちが気を遣ってくれていた。

 「こいつは結構一人で抱え込むから」

 「(私の名前)はどこに行っても上手くやってけると思うけどな」

 「応援してるんだよ」

 曖昧だけど大体こんなことを言ってくれていたと思う。とにかく私は涙を止めるのに必死で、きっと自分が覚えていないだけでもっと沢山の言葉をかけてくれていたのだろう。本心ではドン引きしていたかもしれないけれど、こうして気遣ってくれる友人を持つことができて本当に幸せだと思った。それがなおさら惨めだった。

 励ましてくれていることは本当にありがたかった。こんなところで、しかも文章でしか形に出来ないけれど、いい友達を持てて良かったと思う。しかし、そんな励ましの言葉がどうでもよくなるくらい、私は私自身があまりに情けなかった。いくら止めようとしても涙は一向に止まらなかった。一筋の流れ星が、滲んだ夜空を流れていった。

 

 いま、4人で撮った記念写真を改めて見返している。

 雄大な山々をバックに満足げな笑顔を浮かべる4人。年相応の4人。大人になった4人。

 彼らの笑顔の下にも空虚は広がっているのだろうか。その空虚を抱えて、彼らは大人として『自分』を生きているのだろうか。

 

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あとがき

  よくぞこんなクソ長文を最後まで読んだな!

 一部からは苦行、激痛(げきイタ)とも呼ばれる

『わさび文検定5級』相当の難行の突破、褒めて遣わす!

 出来れば見て見ぬふりをしてブラウザバック!

 目薬を差して目の疲れを癒し、クソして寝るがよろし!

 次回の挑戦を待っているゾ!!

 

 

 ……とまあ適当な言葉(文章)はスラスラと出てくるんですけどね。なかなか難しいところです。面倒くさい人間だなぁと思います。

 『酒を飲んでいたから』という逃げ口上は嫌いなのですが、記憶にある限りのありのままの様子を言葉として形にしました。自分自身、どうしてあのとき涙が止まらなくなったのかよく分からなかったのでモヤモヤしていたのですが、こうして形に出来たので少しだけスッキリしました。ようするに「惰性で仕事する(生きる)のって辛いな」って話です。

 卒業以降、友達と飲んだ後に泣くことが増えたのですが、ひょっとしたら泣き上戸の才能があるのかもしれません。……めちゃくちゃ面倒な酒飲みだな。一緒に酒飲みたくないって言われても仕方ねぇぞ。

 

 さて、久しぶりの更新なのにネガティブな記事でスイマセンでした。こういう文章になると突発的に書きたくなるあたり、やはり私は明るい気持ちでは文章が書けない性質なのかもしれません。

 今回の話は記事にするのを少し躊躇しました。それこそ件の友人達が当ブログを読む可能性も大いにあります。「コイツめんどくさっ!」と思われて遊びに誘って貰えなくなるかもしれません。

 しかし、とある作品に背中を押してもらったので思い切って記事にしちゃいました。なりたい自分に少しだけ近付こう。とりあえず文章を書こう……と。

 もし読んじゃったなら見て見ぬフリをしてね☆@友人各位

 素敵な作品には色々と触れているので、『片隅で感想文』もそろそろ更新したいと思っています。……思っています。(重要)

 これからもなんとなく心にくる出来事があったときは『夜迷言』として更新、もとい吐き出します。「ああ、こんな人間も居るんだな」程度に、珍獣を見るつもりでどうぞ。

 

 いつもどおり(7ヶ月ぶり)に次回更新は未定。次の記事更新が『新年の挨拶』にならないようにするのが今年の目標です。(おい

 それでは。

 

ー最後まで読んでいただき、ありがとうございました。-

 

 @久しぶりによりもいを観てガン泣き、わさび