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ほっじぽっじすてーしょん

広く浅い、多趣味野郎の時事録

夜の独り言

雑記

こんにちは。

リア充との隔絶された世界を痛感し、一人血の涙を流したわさびです。

 

普段交流しているのが趣味に生きる男達なので、あまり意識する機会が無いのですが、ふと冷静に自らを俯瞰してみると「このままで大丈夫なのかなぁ」という漠然とした焦燥感に駆られてしまいます。

 

昔、ある友人はこんなことを言っていました。

「人間は逃げ場を無くすために身を固める」

結婚は自らに『他者に対する責任』という枷を付けるための行為であり、その枷を付けるからこそ人々は辛い仕事と向き合い、いき苦しい社会の中で生きていくことが出来るのだ、と。

自分はどちらかというともっと楽観的な見方、例えば「好きだから結婚する」だとか「一緒にいて楽しいから結婚する」というシンプルでガキ丸出しな考え方しか出来なかったので、この言葉が痛いほどに刺さったのを覚えています。

もちろん、どちらが正解だとかそんな意味の無い議論をするつもりはありません。

純粋に好き合ったから結婚を選ぶ人も、自らに発破をかけるために好きな人と結婚を選ぶ人も居るでしょう。しかし、どちらにおいても『責任を負う』という結婚の本質は揺るがないのではないでしょうか。

そう考えると、私はそういった事柄から距離を置くことで逃げ道を用意し、責任を負う事を放棄しているのかもしれません。

 

「大人とは責任を負うことが出来る存在のことだ」

これもどこかで聞いた言葉です。

 

『責任』

 

それが大人の本質であるならば、放棄している自分は果たして本当の意味で大人になれているのだろうか。

結婚し、子供を作った同級生たち。彼らは大人になることが出来たのだろうか。

 

きっとこんな事は考えても仕方のない事で、明確な答えがある訳でもないでしょう。

それでも、こんな事を月曜日(すでに火曜日)の深夜に考えてしまうくらいに、今私の心に影を落としている難問なのです。

 

みなさんはどう思いますか。

 

@『大人』という言葉を使ってるうちはガキなんだろうなぁと思いながら、わさび