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ほっじぽっじすてーしょん

広く浅い、多趣味野郎の時事録

片隅で感想文01:『恋文の技術』

小説 片隅で感想文

こんにちは。

今日も今日とて、わさびです。

 

いつの間にやら今年も一月が終わってしまったわけですが、皆様いかがお過ごしでしょうか?

私としましては今冬はインドア趣味に傾倒しすぎていまして、未だにスノーボードに行けていないのが悔やまれる所です……

 

コーナー開設に際して

さて本題。

以前から「ブログ内になにかコーナーを設けたいなぁ……」という漠然とした思いがあり、一人でうんうんと頭を捻っていたわけですが……

 

驚くほどに碌なアイディアが出ない!

 

そのうえ、『考えているだけで記事を書く意欲の大半が奪われる』という凄まじいデバフ効果もあり、なんかもう考えるのが面倒になってしまいました。

 

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            ↑考えるのをやめたわさびの図

 

 ということで、苦し紛れに思いついたのが今回の

『片隅で感想文』のコーナーです。

内容はいたってシンプル。

私、わさびが読んだ、観た、聴いた、触った、遊んだ作品群に関して、細々と感想を書き連ねるコーナーです。

作品自体のネタバレ、度を越えた批判などは可能な限り避けた記事にしていく方針です。

 

私の趣味の傾向から、漫画、小説、アニメに関する記事が多くなると思います。

出来る限り多くの作品に触れ、こまめに更新していきたいと思いますのでよろしくお願いします。

 

 片隅で感想文01

さあ、記念すべき(?)『片隅で感想文』1回目の作品はコチラ!

『恋文の技術』著:森見登美彦       です!

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             ↑可愛らしいデザインの表紙

森見先生の作品は、今までに

『夜は短かし歩けよ乙女』 

『四畳半神話体系』

ペンギン・ハイウェイ

『きつねのはなし』

有頂天家族

『夜行』(*読了順)

などを読んでおります。

『四畳半』、『有頂天家族などアニメ化されている作品もあり、旬な作家さんだと思います。

有頂天家族2期』、『夜は短かし』アニメ化も決定していますし、これからのご活躍も楽しみです。

 

では、まず初めに今作のあらすじを少々。

 

京都に住む大学院生、守田一郎はクラゲの研究をするために遠く離れた能登半島の研究所へと飛ばされてしまう。

指導員に怒られ、成果の出ない研究に打ち込み続けるだけの日々。

退屈に苛まれた彼は文通の修業と称して京都の知り合い達へと手紙を書き始める。

友人の恋愛相談、手強い先輩との戦い、教え子への近況報告……。

修業の中で数多の手紙を書き連ねるが、最も手紙を届けたい相手への手紙は未だ書けずにいたー。

 

今作でも『夜は短かし』『四畳半』で描かれていたようなどこか残念な大学生像が軽快な森見節で描かれています。

特筆すべきは、今作が全編にわたって主人公である守田青年の手紙として書かれた書簡体小説であるという点でしょうか。

読者は、守田氏青年から実際に書簡(手紙)を受け取っているかのような気持ちで物語を読んでいくことになります。

手紙には守田青年による精一杯の建前が書かれているのですが、隠しきれない本音が其処彼処から滲み出ているのがまた面白おかしい。

「登場人物達もこんな気持ちで手紙を読んでいるのだろうか」と考えるとなんだかほっこりとした気持ちになります

また、各々に宛てられた手紙だけでは面でしかない内容が、それぞれを組み合わせることによって立体的な出来事になるという群像劇的な演出もにくい。手紙に付けられた日付から時系列をまとめて、物語を俯瞰してみるのも面白いかもしれません。

あと、これはペンギン・ハイウェイの時も思ったのですが……

 

森見先生……おっぱい好きすぎではないだろうか?

 

たぶん、他の作品では類を見ないレベルでおっぱいという単語が乱発されています。いうなればおっぱいゲシュタルト崩壊です。おっぱい。

この小学生レベルと言ってもいい性的視点と、守田青年の葛藤がこれまたどうしようもないほどの阿呆らしさを漂わせていて……

1人の健全男児として、なんだか共感出来てしまうのも悲しいところなのでした。

……これもまた阿呆の血のしからしむるところなのかしらん。

 

そして、これは新海誠監督作品『秒速5センチメートル』を観た時にも思ったことなのですが、物理的に距離感のある繋がりって素敵ですね。

 

少しだけ話がズレますが、皆さんは積ん読という言葉をご存知でしょうか?

それほど大層な意味ではないのですが、読んで字のごとく「書籍を買ったきり積み上げたままで読んでいない状態」のことを指します。

そんな積ん読という言葉について、ちょっと前にこんな言葉を目にしました。

 

人は、いつか読みたいと願いながら読むことができない本からも影響を受ける

 

確か新聞のちょっとしたコラムを切り取ったツイートだったと思います。言葉はこう続きます。

 

「私たちは読めない本との間にも対話を続けている。それは誰かと会いたい、話したいという気持ちに似て、その存在を遠くに感じながらもふさわしい時期を待ち続けている」

 

無闇矢鱈に繋がっていれば良いというわけではなく、距離感があるからこそ生じる対話がある。

手紙の返信を待ち望む時間。遠くにいる相手の近況を思う時間。一見すると断絶の時間に見えるかもしれませんが、実はそれらは対話の時間なのです。

そして、その時間も掛け替えのない大切な出来事なのです。

ネットワークの普及、社会の発展で人と人の繋がりはあまりにもインスタントなものになっています。

いつでも誰かと繋がることができて。

いつでも誰かと繋がっている。

便利である一方、私たちはこうした「大切な時間」を蔑ろにしているのではないでしょうか。

だからこそ、今回読んだ『恋文の技術』や『秒速5センチメートルのような文通による距離を隔てた「大切な時間」にちょっとした憧憬の念を抱いてしまうのかもしれません。

 

 さて、少しばかり脱線してしまいました。やむを得ぬ!

本作読後の清涼感は言わずもがな。

緻密な伏線が回収されるカタルシスも、ドラマチックな大団円もありませんが、そこには等身大の片想いのカタチが結実しています。

果たして、文通修業によって恋文の技術は身についたのでしょうか。一方通行の想いは届くのでしょうか。是非とも自らの目で守田青年の文通修業の行方を見届けてください

文句なしに面白かったです。オススメ!(ネタバレ避けて感想ってムズカシイ……)

 

ー最後まで読んでいただき、ありがとうございました!ー

                                                                                                                                                              @コタツにて緑茶と煎餅を味わいながら、わさび