ほっじぽっじすてーしょん

広く浅い、多趣味野郎の時事録

いつの間にか2000PV突破していた、という話

 はい、お久しぶり。おはよう、こんにちわ、こんばんわ。

 なにげに生きていました。わさびです。

 

 前回の記事更新が7月11日。おおよそ1ヶ月半ぶりの更新になるわけですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

 もし、更新を楽しみにしている方がいらっしゃいましたら本当に申し訳ありません。かなり期間を空けてしまいました。

 

 まあ、「そもそもそんな奇特な人間がいるのか?」って話ですけどね!!

 

 ……という定例の自虐もそこそこに。(つまらないですか、そうですか……)

 

 ここ最近、なんというか無気力状態が続いてしまいまして。

 本とか映画とかプラモデルとか、そういったコンテンツにほとんど触れていない状態です。

 時間があるときでも『ただ時間を潰すことに費やしてしまっている』と言えばいいのか。暇つぶしにゲーム(WoTとか)をプレイしたりアニメを観たりもするんですが、全てが受動的。そんな状態で記事を書く気力などあるはずもなく……。

 

 などと言い訳めいたことを書いたところでしょうがないのですが、

 「流石に8月に記事無しはマズイだろ」

 と思い立ち、無気力にだらけきったメンタルに鞭をうち、こうして筆を執った次第です。

 

 1000PV超えました(……が!)

 記事のタイトル通りです。

 

 いつの間にやら本ブログの総PV数が1000を達成しました!!

 

 本格的に記事更新を開始したのが今年の1月。

 1年経過したあたりで1000PV達成してれば御の字かな、くらいに考えていたのですが、おかげさまで想定よりも早い達成になりました。ありがとうございます。

 さらに、驚くなかれ!1000PV達成の余韻に浸る間もなく

 

 なんと!月間PV数が1500を突破したのです!!

 

  ……いや、ちょっとまて。明らかに何かがおかしい。

 いくらなんでも唐突にPV数が増えすぎではないだろうか?

 今月に入るまでの総PV数はおよそ500。本格的に記事更新を始めたのが今年の1月からなので7か月で500PVです。

 

 すなわち、単純計算でおよそ70PV/月しか閲覧されていなかったわけです。

 

 これだけでもいかにこのブログがクソ雑魚なのかご理解いただけると思います。(自分で言ってて悲しくなってきた)

 

 それが今月に入った途端20倍以上に膨れ上がっている。

 

 あいにく、「やったー!PV増えた!」と思考停止して喜ぶことができるほど頭の中がハッピーセットというわけでもないので、どちらかというと

 「え、なんだ? 気持ちわるッ!?」

 というネガティブ全開な気持ちが先立ってしまうのが悲しいところ。

 

 いったい、なんの記事が伸びているのでしょうか……

 このまま謎にしておくのも気持ちが悪いので、いつぞやの記事のように今回もアクセス解析に目を通してみましょう。

 

 ちょっと目を離している間にこんな感じになっていました。

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 ……す、すげぇ!!

 グラフのY軸が見たことない数値になってる!!そして……

 

 

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 君は月夜に光り輝くの記事が尋常じゃないくらいに伸びてる

 

 まあ、要するにアレだ。

 この伸び始めた時期といい、割と新しい書籍が伸びているということは……

 

 夏休みの宿題の定番、読書感想文を書くためにググってやがるな?

 

 夏休み中盤(と思われる)あたりから急激にアクセス数が増えているのもなんだか生々しい。

 「やべっ!読書感想文書かなきゃ!」という学生諸君の焦りをひしひしと感じます。

 

 コチラとしては「そんなことならもっとちゃんとした体裁で感想文を書いておけばよかったなぁ~」と思ったりもしますが、なんにせよ多くの方に目を通していただくことができたのは素直に嬉しいです。

 流石にこのブログの駄文をまるパクリするような猛者は居ないと思いますが、もしまるパクリしている学生が居たらこれだけは言っておきます。

 

 先生に怒られるからちゃんと自分の言葉で書き直したほうが良いゾ☆

 (※本ブログの記事を利用して被ったいかなる損害に対しても当方は一切の責任を負いかねますのでご了承ください)

 

 ……私自身、島崎藤村『破戒』を読んでもいないのにGo○gle先生を頼りに読書感想文を仕上げたという経験はあるのでなんとも言えませんがね!(おい)

 何事もほどほどに。

 

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 というわけで、思わぬところで総閲覧数が2000越えを果たしました。

 一か月でこんなに伸びるとは思っていなかったので素直に驚いています。こんなことならもっと頻繁に記事更新しておけば良かったなぁ……と思ったところで後の祭り。

 

 先月に続き、今月もろくに記事更新が出来なかったので来月はもっとこまめに記事を更新していくつもりです。あまり期待せず、ゆるゆるとお待ちいただければ幸いです。

 記事の内容、更新日はいつも通り未定。少し前になりますが、森見登美彦太陽の塔を読み終えているのでその感想文を書くことになるかもしれません。

 

 最後になりますが、毎度のことながらこのようなネットの片隅で埃を被っているようなブログに目を通していただきありがとうございます。

 あくまで閲覧数というデータでしか読者の皆様を確認することが出来ず、どんな方が読んでいらっしゃるのかが分からないのが歯痒いところですが、誰かが読んでくださっているという事実は書き手にとってこのうえない励みになっています。

 これからも読んでくださる方の良き暇つぶしに、出来ることならば日々がほんの少しだけ楽しくなるような記事を書いていきたいと思いますので、生暖かい目で見守っていただけると幸いです。

 

 それでは。

 

ー最後まで読んでいただき、ありがとうございました。ー

 

@夏の終わりを感じながら わさび

片隅で感想文18『月がきれい』

こんにちは。わさびです。

 

ついに夏が来てしまいました。

年越ししたのがついこの間のことのように思えてならないのですが、時が経つのは本当に早いものです。

 

さて、6月も終わり、いわゆる春アニメが一通り終わったわけですが、皆さんはどんな作品を鑑賞しましたか?

 

「アニメなんて見ねぇよ!」という方はとりあえず置いといて。(おい)

 

私は最初こそ色々な作品を観ていたのですが、全編通してしっかり観た作品は3作品に落ち着きました。少し前ならもっとガッツリ追っていたと思うのですが……体力の衰えをひしひしと感じます。

 

で、今期通して観た作品は一体どれなのかというと……

 

サクラクエスト

レクリエイターズ

月がきれい

 

この3作品です。

(『正解するカド』はAmaz○nプライムが有効なうちに観ておきたいと思います!)

 

サクラクエストは『辺鄙な田舎の町興し』という扱いづらそうな題材を上手いことコミカルに描きつつ、P.A.worksらしい綺麗な作画がそれを支える形になっていました。「めちゃくちゃ面白い!」というタイプの作品では無いと思いますが、非常に安定感があって毎週楽しく視聴してます。

 

レクリエイターズは……広江先生パワーを信じて観てます。

 

上記の2作品はどちらも2クールなので今がちょうど折り返し地点。どんな展開になっていくのか、これからも目が離せません。

 

そして、春アニメで個人的にぶっちぎりでNo.1だったのが、

 

月がきれい

 

……正直に言うとですね、この作品に関しては私なんかの薄っぺらい言葉なんて不要だと思うんですよ。

 

黙って観ろ、そして感じろ

 

この一言に尽きる。

それでも、こんなに素晴らしい作品に出会うことが出来て、感じ取るものがあったからには何らかの形で出力しなければならない。という謎の使命感に駆られ、現在筆を執っている次第です。

 

それでは前置きもそこそこに、本題にいってみましょう。

 

月がきれい

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tsukigakirei.jp

 

あらすじは公式HPを見てもらったほうが良いかもしれません。(12話構成のストーリーをどこまであらすじとしていいのか微妙ですし)

端的に言うと、今時の中学生の恋愛模様を描いた作品です。

クラスではあまり目立たない文学少年の安曇小太郎と、陸上部で活躍するスポーツ少女水野茜 。同じクラスになるまで、全く接点の無かった二人が次第に惹かれあっていくというストーリー。

 

これだけでもなんとなくわかって頂けると思うのですが……非常に地味

しかし、この地味さこそが本作最大の持ち味であり、武器だったのです。

 

『地味』が武器?

まず初めに、これだけはハッキリと言わせてもらいますが、本作には『この作品ならではの設定』というものがありません。第一印象でガツンと視聴者にインパクトを与えるギミックが仕込まれていないのです。

 

「えー、それじゃ面白く無いじゃん」

 

と思ってしまうかもしれませんが、ところがどっこい

 

これが非常に良かった。

 

「特徴が無いのが特徴」と評された某モビル○ーツがいましたが、本作はそれを地で行く作品だったという印象。

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                呼んでない

 

では、なぜ『地味が武器になったのか』をもう少し掘り下げてみましょう。

 

 

基本的に、学園モノは基礎となる設定に普遍的な意味合いが強いジャンルです。

 

学校の中には、教師と生徒という立場がある。

教師には受け持つクラスまたは教科がある。

生徒には所属する学年、クラスがある。

体育祭、文化祭、音楽祭、修学旅行……という特別な行事がある。

部活がある。

教室がある。

テストがある。

制服がある。

宿題がある。

アルバイトをしたりもする。

進学、就職といった未来を抱えている。

 

……等々。もちろん例外はあると思いますが、学園を題材にするだけでおおよその枠組みが決定されるというのが学園モノの強みであり、また弱みでもあります。

 

なぜこれが強みになるのか。

それはとても単純な話で、なんといっても説明が楽だからです。

 

例えば「なんで修学旅行をするの?」「なんで部活があるの?」と聞かれたとき、あなたはその理由を明確に答えることが出来ますか?

 

私は出来ません。(おい)

 

もちろん「実地で歴史、技術を学ぶため」だとか「部活というグループに所属することでクラスとは違う人間関係の構築方法を学ぶため」だとか、それっぽい理由を適当にくっつけることは出来ますが、結局のところ

 

「学校だから、あって当たり前でしょ」

 

という意識が根底にあるんですよね。

 

自分が経験してきた組織であるが故に、いまさら疑問を差し込む意味が無い

(少なくとも『創作』という分野においては)

 

とでも言えばいいのか。

そして、『視聴者が疑問を持たない』ということは、書き手側としては『説明する手間が省ける』わけです。これは視聴者と書き手、どちらにとっても途轍もないメリット。

だって、作者が説明するまでもなく『学園モノ』というジャンルを提示しただけで、題材となる組織の概要が視聴者側と共有出来るわけですよ?

 

「この組織は~という経緯があって、~という部門を筆頭とした~つの部署に分かれていて~という事を目的にして動いている」

 

といった雑多な説明・設定を一から作る必要が無い、なんて素晴らしいフォーマット!

サブカル分野で学園モノが多い(気がする)のも、この強みに因るところが大きいのではないでしょうか。(他にも、メインターゲットとなる中高生が感情移入しやすいというメリットもありますが)

 

……さて、これだけの強みを持つ『学園モノ』ですが、

『強い光の差す場所には濃い影が出来る』

という言葉のとおり、その強さゆえの致命的な弱みがあります。

前述のとおり、学園生活というのは誰しもが経験してきたものです。

 

……要するに『目新しさに欠ける』わけですね。

勉強して、テストして、部活して……なんて普通に描いただけでは面白みが無い

 

では、この強烈な弱みを消すためにどうするのかというと、

 

 

圧倒的なドラマ、設定で打ち消す

 

 

というパワープレイに走るんです。

 

普通の学校の部活で頑張って県大会に行った?つまらん!!

だったら

弱小校を全国大会で優勝させよう!!

強豪校で仲間たちと切磋琢磨しあいながら全国優勝させよう!!

 

主人公がひたすらに凡庸?つまらん!!

だったら

変な部活作って入部させよう!!

ひょんなことから超能力に目覚めさせよう!!

 

 学校が普通?つまらん!!

だったら

能力者たちが集まる学校にしよう!!

廃校寸前の学校にしよう!!

 

こういった設定が悪い、と言いたいわけでは無いです。

むしろ、こういった独自の設定を用意せずに学園モノで独自性を出して視聴者を魅了することは出来ないでしょう。

 

 

 

そう、思っていました。月がきれいを観るまでは。

 

 

 

……すごい、凄かった。(語彙貧)

初めにも言いましたが、本作には『この作品ならではの設定』がありません。物語をドラマチックに彩る、露骨な下地が一切無いのです。

 

どこにでも居るような地味な文学少年が、普通の学校生活の中で普通にスポーツ少女と出会い、普通に惹かれあっていく。

登場人物が特別なドラマを背負っているわけでもなく、悲劇が起こるわけでもない。

どこにでも居そうな、どこにでもありそうな、ひたすらに普通の恋模様。

 

なのに、なぜこんなにも心を掴んで離さないのか。

 

 今のご時勢、男女の中身が入れ替わってる~!?しちゃったり、どちらかが不治の病に罹っちゃったりするのは日常茶飯事なわけです。ちょうど視聴中なので挙げさせてもらいますが、レクリエイターズのような『創作』に対するメタ作品も登場してきました。

大切なことなので何度でも言いますが、それらの設定が悪いと言うつもりは全くありません。素晴らしい作品は沢山あります。

しかし、『どうやって他作品と差別化を図るか』という部分がフォーカスされている中で、これだけ『普通』を追求した作品は、かなり珍しいのではないでしょうか。

そして、その『普通』を追求して得た『無個性』が、結果として唯一無二の『個性』になっている。『地味さ』が武器になっている。

 

『特徴が無いのが特徴』

f:id:wasabiwasabi:20170711014354j:image                    呼ん……でねぇっ……!

 

まさにアニメ界のジム。(※めちゃくちゃ褒めてます)

わかり易いカッコよさは無いかもしれませんが、一度魅了されたら嵌ってしまう味わい深い作品だと思います。

 

ちゃんと中学生

これまた地味なポイントではあるのですが、

 

こいつらなんでこんなに中学生なんだ!?

 

と言いたくなるほど登場人物がちゃんと中学生。凄い。

少しだけ背伸びした言動、ぎこちない会話。

小学生ほど単純でも、高校生ほど擦れてもいない。ピンポイントで中学生

 

凄い。

 

……思わず語彙レベルが低下してしまいますが、ほんとに凄い。

「脚本書いてる人、中学生なんじゃねぇの?」と疑いたくなるレベル。

当然、私はこんなに素敵な恋をしたことは無いのですが、どこかで当時の自分を重ねてしまいました。

当時はLINEなんか無くてなぁ……ノートの切れ端を折りたたんだ手紙でやり取りをしたものじゃよ……

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                 ↑歳がばれる

 

 

声優さんの演技も自然で良かったです。

変に芝居がかっていないので、これまた不要な特徴を消すことに一役かっている。

www.4gamer.net

こちらの記事で紹介されているように、本作は音声を先撮りして絵を後から付けるプレスコ方式と呼ばれる制作方法で製作されているらしく、声の演技に合わせた作画が出来るので、絵と声がより一層自然に噛み合うようになっているそうです。なるほど。

 

……そうなんですよね。

本作はひたすらに自然なんです。

またまたお馴染みの台詞を使ってしまいますが、製作者の作為的な匂いがない

だから実際に中学生の恋愛模様を見ているような気分になる。

付き合い始めた友人を横から茶化していた、あの頃の感覚を鮮明に思い出しました。

 

「なんで毎週中学生の恋愛模様を見て一喜一憂しなきゃならんのだ!!」

 

なんてことを言いながら、目が離せなかったオッサンは私だけじゃないはず。

 

こればかりは本当に憶測でしかないのですが、本作は私くらいの年代をターゲットに製作された作品なのではないでしょうか。

青春時代に思いを馳せる程度には年齢を重ね、それでいて近年のコミュニケーションツールにも理解がある年代。

もっと若ければ青春に思いを馳せることなんてないでしょうし(というか青春真っ只中なわけで……)、もう少し上の世代になると年代が乖離しすぎてしまう。

東山奈央さんが歌う挿入歌(これがまた素晴らしい)のチョイスといい、ピンポイントで私ら世代を狙い撃ちしているとしか思えません。

 

全くもってけしからん、もっとやれ。(横暴)

 

結末について

「今までに見た作品の中で作風が近いのはなんだろう」と考えてみたのですが、パッと思いついたのは秒速5センチメートル……

 

……だったんですが。

(結末のネタバレが含まれますので、以下は反転させて読んでください。読みにくかったらスイマセン。)

 

↓ここから↓

どちらも、基本的にリアリティの置き所は同じだと思うんですが、大きく違う部分があります。

リアリティの置き所というのはあくまで私個人の感触の話です。

例えばそれは中高生特有の青さだったり、無力感だったり、ままならなさだったりするわけですが、そういった複雑な青春模様を現実的かつ繊細に描いているという意味でのリアリティです。

もっと掘り下げてしまうと、『秒速~』の方が『月がきれい』に比べてもっと登場人物のバックボーンがドラマチックではありますが。それぞれの作品が醸し出すノスタルジックな雰囲気、その根本は同じモノだと思います。

 

では一体、二つの作品を分ける大きな違いとは何か。

 

それは結末の魅せ方です。

 

先ほども言いましたが、『秒速~』はリアリティのある描写を重視する一方で登場人物がドラマチックな背景を持っています。

……が、それだけ濃密なドラマを見せ続けたにも関わらず、結末はこの上なくリアル。

(結末に関して色々と書こうかとも思ったのですが、長くなりそうだったのでやめておきます。)

 

とにかく、過程をドラマチックに描き、結末をリアルに寄せたのが『秒速~』という作品だと思います。

 

このドラマとリアルのコントラストが『月がきれい』では真逆に配置されているのです。

 

今回の記事で何度も言っているように、月がきれいはひたすらに『普通=リアル』を追求した作品です。

正直な話、私はその流れのまま「リアルな結末を迎えるんじゃないか」と思っていました。

 

小太郎は進学に失敗し、茜と同じ学校には行けない。

二人は結局疎遠になり、小太郎は千夏と付き合うようになる。

しかし、小太郎は初恋を糧に創作活動を続け作家デビューを果たす。

大人になった茜はその小説を読み、当時を懐かしむ。

 

こんな流れがそれなりに生っぽく、創作的なサクセスストーリーとして綺麗にまとまるかな。と勝手に妄想していたわけです。

……まあEDのLINE画面をしっかり見ていればこの結末にならないことが分かるようになっていたわけですが。(私の雑な視聴っぷりは気にしない方向で)

 

だから、これまた勝手な話ですが「小太郎が進学に成功してハッピーエンドだったらこの作品は良作止まりだなー」なんて上から目線で斜に構えていたわけです。

 

そうして迎えた最終話。

案の定(というと失礼ですが)小太郎は進学に失敗してしまいます。

「あー、それじゃあやっぱり別れることになるんだろうなぁ……」

私はそんな事を考えていました。

ここまで丁寧かつ繊細に中学生の『普通=リアル』を描いてきた作品だからこそ、安易な手段は選ばないだろうという妙な確信がありました。

……しかし、ここで薄っぺらいオッサンの予想は裏切られることになります。

 

ひたすらリアルを描き続けた本作は、最後にとびきりのドラマを用意していたのです。

 

最終話の演出は今までにないほどドラマチック。各要素がすこんすこんとはまっていく

感触は作為的なモノを感じつつも全然不快ではなく、むしろ心地良いくらい。

ネット小説の感想欄に茜が

 

「この先はどうなるんですか?」

 

と書いたシーン。ホントに鳥肌ものでした。(千夏が良いアシストするんですわ……)

桜吹雪の中、走り続ける小太郎。BGMは『月がきれい』。

そしてEDで伏線になっていたLINE画面を回収する形で〆る。

 

こんなん涙腺にくるに決まってるじゃねぇか……

 

……とまあ若干脱線しましたが。

本作は過程を徹底的にリアルに描き、結末をドラマチックにした作品だったのです。

 

ここが『秒速~』と決定的に違う。

 

まあ、過程と結末が逆になっているだけで狙っている効果は同じだと思いますが。(過程と結末のギャップによるカタルシス?)

 

「なんか似てるかも?」と感じながらも「いや、やっぱり違うな」と思い直したのはこのあたりが原因だったのかなぁ……と。

 

例によって例のごとく、なんだかわけのわからない文章に仕上がった気がしますが、なんとなく言いたいことは伝わりましたかね?伝わりましたよね?

↑ここまで↑

 

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というわけで、長々と書き連ねてしまいました。

それだけの熱量をこの作品から受け取ってしまったということです。察してください。

 

いつも通り、あまり登場人物には触れませんでしたが小太郎と茜以外のキャラクターも非常に魅力的です。

特に、茜の親友である千夏

一番明るいキャラクターではありましたが、恐らくこの作品の中で一番複雑な想いを抱え続けていた人物だと思います。

それでも彼女はどこまでも真っ直ぐで、それがどうしようもなく切ない。

 

いや、本当に素晴らしい作品でした。

未だ視聴していない方にも是非とも観ていただきたいです。

 

そして、グッと来た人は僕と握手!!

 

9月末にはBDBOXも出るからよろしくな!

全話入って2万円と、BOXにしては大変お買い得だぞ!!(ダイマ)

 

最後になりますが、今回はかなり熱が入ってしまったので言い訳を少々

 

この記事はあくまで私個人の感想です。

「これのどこがリアルじゃ!」

「なに知ったかぶりしてんだ!」

といったご意見も当然あるかと思いますが、生暖かい目で見ていただけると幸いです。

 

 次回更新はやっぱり未定。

最近は本の感想文を書いていないので、そろそろ書くかも。

 

それでは。

 

ー最後まで読んでいただき、ありがとうございましたー

 

@公式chが配信している間はループさせ続ける わさび

生きる肢体

「彼は死んでいるのですか? 」
 僕が問いかけると、目の前の医師は少しばかり眉を寄せた。
 病室の中は不気味なほどに清潔だ。窓から差し込む陽光が白一色の床や壁面で乱反射して、まるで白昼夢の中にいるかのようなぼんやりとした光が部屋を満たしている。
「難しい質問ですが、私の立場としては『生きている』と言わざるをえないでしょう」
 先程わずかに垣間見せた人間らしい反応が嘘のように、医師は鉄面皮でそう言った。四角いメガネの奥に沈む瞳の中からは、おおよその人間味といったものが感じられない。道端に立てられた標識をただ何となくぼうっと眺めている時、人はきっとあんな目つきになる。そこには感情も、理性も含まれていない。ただ単にそこにある事実を見つめ、受け止めず、暇を持て余す 脳の処理機能を弄ぶ忘我の領域。
 だとすれば、彼が我を忘れたのはいつなのだろうかと、意趣返しのつもりで僕も忘我の領域で考えてみる。どうでもいいことを 思考回路の片隅で弄ぶ。
 僕たちはお互いに交わす言葉を失った。元々言葉を交わす意味なんて無かったのだから当然と言えば当然の事だろう。無意味に気まずい沈黙の中で、規則正しいリズムで時を刻む電子音だけが単色の病室の中で色を放つ。
 それは目の前に横たわる『彼』の心音、その代替物。単調な機械音ではあるけれど、無機質なこの部屋の中ではもっとも生気に満ちた存在。『彼』が生きているという、なによりの証拠。でも、僕にはそれが納得出来ない。
「もう彼が目覚めることはないんですよね」
 僕はもう一度、確認のつもりで聞いてみる。
「はい。断言させていただきますが、二度と目覚めません。立って歩くことは二度とないでしょうし、腕はおろか指先の一本すら動かすことは不可能です」
 医師は小さなため息とともに、眼鏡の位置を直す。
「当然、瞼を開けることもないし、声を出すことも出来ません。さっきも説明した通りです」
 出来の悪い生徒を窘めるようなニュアンスを言外に感じるけれど、やはり僕は納得が出来なかった。
「それでも、『生きている』と言えるのですか」
「ええ、心臓が動いていますから」
「ほら、聞こえるでしょう」と言わんばかりに、医師は口を閉じ、耳に手を当てる。電子音は相も変わらずゆったりとしたテンポで時を刻み続けている。どうやら医師にはこの音が『彼』が緩やかに死へと向かうまでのカウントダウンに聞こえるようだ。
 この退屈な電子音がなっている限り『彼』は生きていて、心臓がこの音を奏でるのを諦めたとき、『彼』は初めて死ぬ。ただそれだけだ、と。
 そんな馬鹿げた話があるだろうか。
 生きている限りベッドの上に横たわり、わけの分からないチューブから流し込まれる食事で腹を満たす。昼夜の感覚も無く、時間からも社会からも断絶し、無意識のうちに差し込まれたカテーテルを介して排泄するだけの機械となり果てる。
 もしそれを『生きている』といえるのであれば、死体だって『生きている』。
「......『彼』はもう死んでいますよ」
 絞り出すように僕は真実を口にする。僕だって、それは決して認めたくないことだった。本当なら『彼』は生きているのだと思いたい。でも、こんな状態になってしまったら認めざるをえないじゃないか。この圧倒的な事実を前に、心音なんてものは『生きている証』としてはあまりにも不確かだ。
「......困りました。あなたは『彼は死んでいる』と思いたいんですね」
 やれやれという風に、医師は軽く頭を振った。「私としては、これは決して認めたくないことなのですが」そんな前置きをしたあと、医師は言葉をつなげる。
「正確に言うと『彼は生きている』という結論を出す権限を、私たち現代の医師は持ち合わせていないのです。残念なことに。それほどまでに、人間は人間自身を知りすぎてしまった。」
 人の意識の在処を、人を存命させる術を、そして人が人である意味を。人々は理解してしまった。
「仮に。大昔に『彼』と同じ状態になった患者が居たとしましょう。当然、『彼』を存命させるような高度な技術は存在しないですし、『彼』という人体を構成する各モジュールがどんな役割を持つのか知る人は誰もいません。そんな環境下に『彼』が置かれていたのであれば、私は自信を持って『彼は死んでいる』と言えるでしょう。もし心臓が動いていたとしても、それが止まるまでにはそれほど時間もかからないでしょうし」
 そんな時代だったら、そもそも心臓が動いている意味すら理解できないかもしれませんがね。何がおかしいのか、医師はそう言いながらくっくと喉の底を跳ね上げるような不気味な笑い声を上げる。耳障りな声はひどく僕を苛つかせた。
 知らず、心情が顔に現れてしまったのかもしれない。医師は気まずそうに咳払いを一つ。
「......しかし、現代ではそう簡単にはいきません。人体を構成する各モジュールの役割はとうに解明されてしまいました。どの部位が生きていて、どの部位が死んでいるのか。それが事細かに分かってしまう。困ったことに」
「困る? 何故ですか? 」
 全く可笑しな話じゃないか。仕組みを解明したというならば、『生きている』のか『死んでいる』のか一目瞭然ということではないのか。困る要素がどこにあると言うのだ。
「定義がね、出来ていないんですよ。『生きている』という事に関する定義が」
 医師は何かを思い出すように目を閉じ、右手の人差し指でトントンと自らのこめかみを叩く。
「また例え話になってしまって恐縮なのですが、故障してしまった機械を思い浮かべてください」
 どこかの歯車が壊れて動かなくなってしまった機械。
 プログラムがエラーを吐いて動かなくなってしまった機械。
 動力源から切断されて動かなくなってしまった機械。
 機械、機械、機械、機械、機械。
「私たちは幸いにもその機械の仕組みをある程度知っています。だから、ひょっとしたらそれを直すことが可能かもしれない」
 新しい歯車を差し込めば、プログラムのエラーを修正すれば、配線を張り直せば。機械は再び轟音をあげながら動き始める。それはあまりにも単純明快な答えに思える。
「では、故障している状態の機械は果たして『生きている』のでしょうか。それとも『死んでいる』のでしょうか」
 僕は答えに詰まった。たしかに、直せるのであれば『生きている』と言えるのかもしれない。しかし、故障している限り機械が動く事はない。それは『死んでいる』のと同じではないだろうか。強いて言うならば。
「『死んでいない』状態、としか」
 ぱんっという乾いた音が鳴った。それが医師が手を打ち鳴らしたものだと気づくのには少しばかりの時間を要した。
「その通りです。そんな状態は『死んでいない』としか言えないのです」
 求めていた答えを生徒自らの手で導き出した時、黒板の前に立つ教師はこんな顔をする。答えを導いた生徒自身ではなく、導くまでの過程を示した自らの功績に満足し、悦に入る。
「壊れている箇所も分かる。ひょっとしたら、それは修理出来るのかもしれない。しかし、その状態を正しく言語化することは非常に難しい」
 壊れている部分が分からないのであれば、なんの問題なくその機械は『死んだ』と言えるだろう。修理の目処が全く立たないのであれば、臆することなくその機械は『死んだ』と言えるだろう。
 しかし、困ったことに私たちは知ってしまった。機械の構造を。各モジュールの意味を。『生きている』と『死んでいる』の間に横たわる複雑怪奇な混沌を。
「機械であれば、その状態に定義付けをするのは簡単なことです。あくまで一例ですが、その機械が今後も必要ならば、修理にかかるコストと同じモノに買い換えるコストを天秤に掛ければ良いだけの話ですから。前者に傾けばその機械は『死んだ』と言えるし、後者に傾けばかろうじて『生きている』と言えるでしょう」
 眼鏡の奥底で輝きを失った瞳と視線が交わる。黒く濁ったそこには忘我の領域が広がっていた。
「ですが、人間はそう簡単にはいきません。当然の事ながら、人間には替えがありませんし、コストなんて分かり易いものさしで測ることも出来ません。少なくとも、人情という曖昧なフィールドの上では。そして、明確な定義付けが出来ないからこそ、私たち医師は『死んでいない人間』を『生きている』とも『死んでいる』とも言い切ることが出来ない。」
 機械よりも機械らしい雰囲気を持った医師が「人間は替えがきかない」だとか「人情」といった言葉を発しているのはなんだかとてもシュールだ。それはあんたからもっとも遠い分野だろうに。
「だったら、先生は何を根拠に「彼は生きている」と言うのですか。今の話の通りであれば、彼は『死んでいない』だけです」
「簡単な話ですよ。あくまで私は定義付けが出来ないというだけであって、定義付けしてくれる人間は他に居ますからね」
「それはいったい......」
 医師でも判断が出来ないような人の生き死にを、一体誰が判断するというのだ。
「彼に近しい人ですよ。家族、友人、恋人、エトセトラ、エトセトラ。それらのうち誰かが「彼は生きている」と判断したならば、私たちはその判断に従って『死んでいない彼』を『生きている』ものとして取り扱う。ただそれだけです」
 簡単でしょう。というように医師は肩をすくめてみせる。
「は、」
 思わず笑ってしまいそうになる。とってつけたかのような医師の仕草が滑稽だったからではない。その答えがあまりにもシンプルで、これ以上ないほどに無慈悲だったからだ。
 もはや彼の生き死にの決定権は彼自身にはない。第三者が願うままに、彼らの精神安定剤として『生かされている』だけだ。
「きっとよくなる」
「いつか目を覚ます」
「早く治ってね」
 そんな白々しい言葉を、生きる死体となった彼の前に並べて、彼らは自らの人間味を確かめる。
 優しい自分、慈愛に満ちた自分、健気な自分。
 それらの自分が確固たる存在としてここに在ると言う確証を得るために、彼らは医師を無意識のうちに動かし、彼の意志とは無関係に彼を生かし続ける。

 

 彼は優しさで生かされているのでは無い。優しさで殺されているのだ。

 

 一筋の熱が頬を伝って流れ落ちた。全く気が付かなかったが、僕は今泣いているらしい。
「では、改めて聞きます」
 なんだか医師の声が遠い。その声はまるで水底に投げ込まれた言葉のようで、くぐもっていて聞き取りにくい。不思議なことに、規則正しい電子音だけがハッキリと鮮明な音として耳に飛び込んでくる。
「あなたは生きていますか。それとも、死んでいますか」

 

 ああ、そうか。

 

 僕はここにきてようやく気が付いた。目の前に横たわっていた『彼』は『自分自身』だったということに。弱々しく横たわっているのも、わけのわからない機械に生かされているのも、単調な電子音に生の実感を求めているのも、全ては自分自信の姿だったのだ。
 先程まで向かい合ってたはずの医師は、ベッドの左側から僕を見下ろすように立っていた。窓から差し込む日差しが眼鏡のレンズに反射していて、何を見つめているのかは分からない。あの奥に広がっているのはやはり忘我の領域だろうか。いや、きっとそんなことはないのだろう。
「あなたは生きていますか。それとも、死んでいますか」
 先程と同じ問いが降ってきた。この病室に入ったばかりの僕であれば分からなかったかもしれない問い。でも、今ならその問いの意味が分かる。
 息苦しい呼吸器につながれる感覚。ぴくりとも動かない四肢。朧気な意識。
 『生きている』のか『死んでいる』のか。
 答えはもう出ている。しかし、性急に答える必要も無いだろう。だって僕はきっとこれからもしばらくは『生きている』し、『死んでいる』のだから。
 だから今は少しだけ休ませてほしい。ここ最近頭を使っていなかったものだから、些か疲れてしまった。
 心地よい微睡みに導かれがら、僕はゆっくりと瞼を閉じる。

 

 無音の世界が、僕を包み込んだ。